
噓は嘘であると見抜けないと・・・
あなたが情報を得るときに一番信じるものは何ですか?
答えは単純に自分の考えなんですよね。
例えば嫌がる人も多いものでいえば、政治や宗教といったもの。
どうですか?
神様を信じる人もいれば神様を信じない人もいる。
政治に追従する人もいれば陰謀論を唱える人もいる。
ここの考え方の差異は何からでるか。
それってあなたの感想ですよね?
感想はどこから来るの?
これも答えを言うと記憶ですよね。
環境や経験によって「その人」の意識って変わりますよね。
もっとも意識的に思考する上で認識しているのは、記憶の中のひとかけらだけ。
実際は無意識の部分でいろいろと普段考えていない記憶が強く引き金となっている。
例えば親がある物事に狂信的な人間だったら?
その子は親にくっついて正しい道と信じ、同じく狂信的になる。
もしくは自ら疑念を持ち、親とは意識の上で決別して違う道へ進もうとこころみる。
その時に前者は親の信念に従いほめられたかもしれない。
後者は反抗的な態度をとり否定を続けられたかもしれない。
これが、心の引き金にもなりうる無意識の刷り込み。
もちろんどちらにも正しさはあるし間違いもあるのが注意点。
正しさと間違いをどう解釈するか
基本的には自分を信じることが一番に変わりはないです。
自分にウソをついたまんま生きたくなんてないですよね?
僕も嫌です。
特に自分の巣にいる時まで他人のご機嫌考えてどうするって話で。
とはいえ、裏側まで観測を試みることは大事。
これができる人間とできない人間では話していて面白さに大きな差異がある。

青少年でも大人だな、って思う人に共通しているんだよね。

逆に言えば、なんだこいつって大人がいるのも、そういう話。
裏側を観測するってどういうこと?
「この事柄の起点、終着点、問題点の3つは何?」と考えること。
中学時代に数学の授業でやった証明の問題みたいなもの。
もちろん数学ではなく事柄なので答えは無数にあるけれど。
例えば、あるニュースがありました。
「とある同族会社で社長が談合の罪で起訴されて有罪判決となり辞任。その会社は名誉回復の為に一族と関係ない取締役が引き継ぐことになりました。」
さて、この時「なんで談合が起きた」のかを考えるということ。
もちろん一番に考えられるのは社長の自己利益のため。
でもほかの可能性もあるかもしれない。
会社が苦しい状況で談合を持ちかけられて渋々受け入れたのかもしれない。
もしかしたら、そのうらにくだんの取締役が絡んでいて会社を乗っ取ろうとしたのかもしれない。
同族の人間が乗っ取ろうとしていて社長に罪をなすり付けたのけれど失敗したのかもしれない。
いやいや、やはり社長が他の同族を嫌って上に立つために不逞に利益を求めたのかもしれない。
こういう時に情報をいくつかつまみ出し、自分なりに考えて辻褄が合うことを探す。
それが、証明の作業に似ているという話。
もちろん正確なことは当事者しかわからないので、受け手側は評価するだけなんですけどね。
そんなに簡単に思いつくの?考えられるの?
はじめはもちろん無理。
小さい子が非常に素直なのと一緒で物事を文字通りに受け止めるのが常でしょう。
違う意見に触れなければ一方から見方しか見えない。

「原発推進派はバカだ!!!!!」

「反原発はバカだ!!!!!」
・・・これっても字面だけ見るとどっちも攻撃的でバカに見えるよね。
でも、起点、終着点、問題点の3つをみれば、双方とも正しいことはある。
その中で正しいこと正しくないことを判断して自分なりの意見を持つ。
もちろんこの場合中立という意見を持つことだってありうる。
そうやって、物事を見ていくとできるようになるんじゃないかな。
そりゃ、倫理上絶対に間違っているものもありますけどね、侵略戦争とか。
まとめ
人は自分で信じたいものしか信じないという話。
ただしそれは本当に絶対のものとは限らない。

情報をつぶさに調べて
自分なりに辻褄の合うことを探すといいんじゃないかな。
ということがいいたかっただけです。
明らかに怪しい情報あるからね。
スポーツ紙で見る「なんと●●だというのだ」とか。
・・・言ってないだろ。
余談
なんでこんな話をしたかっていうと、間違いを犯した人間を「お前が悪い」と追い打ち掛けて、突き飛ばそうとしている人間を見かけることが多かったからです。
悲しくなりました。
間違いの裏側を考えて同情すべき点はなかったのか考えられなかったのかな。

悪いことは悪いんだよ、そんなことも知らないのおこちゃまだね?
この人が自分の記憶をもとに発言するのは自由。
でも、こんな断罪する人間にTwitterでのいいねが多くついていてたのが引っ掛かっる。
本当に「あなた」もそう思うの?
こういう面でよくないことがあった、結果この処遇が決まった。
これだけを見て、それが絶対というのは簡単。
なんでを考えるための思考が停止しているよ。
人間考える力があるんだからさ、考えようぜ。
自分の記憶ばっかりに頼らずさ。
優しくなろうぜ。
さみしいよ。
考えた結果で批判するのは正しいと思うけど、出来事だけ見て批判するのは浅いよ。
一方的なあおり運転で死傷者出したり、自分をバカにされたって放火したりしてるなら話は違うけどさ。
普通そうじゃないだろ。
もちろんその場合だって一応裏側は調べて同情できることはあるけどね。
でもこれはダメ。
とまぁ、そんな話。
長文最後までお付き合いありがとうございました。
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